本校は、我が国近代社会事業史上の先覚者、留岡幸助により、キリスト教精神に基づいて、1899年に民営の感化院として創設された児童福祉施設です。
当初は代用感化院という位置づけでしたが、時代の推移につれて少年保護施設、養護施設、そして現在は児童養護施設に至っております。
校祖留岡幸助は、本来感化院のあるべき塀や格子の代わりに、「愛こそが最も強固な障壁である」という、“愛”という絆で覆われたものを理想としました。また「子どもは、救うべきもの、導くべきもの、教うべきもの、愛すべきもの」という児童観に基づき、「家庭にして学校、学校にして家庭、愛と智がいっぱいに溢れた環境」での家族舎制度(ファミリーシステム)と生活教育を掲げ、「能く(よく)働き、能く食べ、能く眠らしめる」という三能主義(留岡精神)のもと、個性を重視した人格形成のために、少年たちと生活を共にしました。
東京家庭学校は、この伝統と精神を今も尊重しながら、子ども達の声に常に耳を傾け、自己選択と自己決定を優先し、自立支援とサービス向上に最善の努力をつくしております。
年表
- 1899年11月 留岡幸助がキリスト教信仰に基づいて家庭学校を創立する
- 1914年8月 北海道紋別郡上湧別村社名淵に分校と農場を開設する
- 1934年2月 留岡幸助 死去
- 1922年4月 少年法施行により少年保護団体となる
- 1935年11月 巣鴨より高井戸に移転
- 1948年1月 児童福祉法施行により、養護施設とする
- 1952年4月 上水保育園を開園する
- 1968年4月 北海道家庭学校を分離する
- 1990年8月 グループホーム第1分園(上北沢ホーム)開設
- 1990年11月 心身障害児者短期入所事業(光ホーム)開設
- 1994年4月 グループホーム第2分園(旧・高井戸ホーム)開設
- 1998年5月 第1分園老朽化のため、移転する(グループホームB)
- 2001年8月 第2分園老朽化のため、移転する(グループホームC)
- 2006年2月 誠明学園との提携型グループホーム(男子ホーム)開設
- 2007年4月 杉並区内にグループホーム開設
- 2010年2月 誠明学園との提携型グループホーム(女子ホーム)開設
留岡幸助
留岡幸助は、1864年(元治1)年現在の岡山県高梁市に生まれ、留岡金助の養子となり、やがて勘当されながらも17歳でキリスト教の洗礼を受けました。
同志社英学校(現在の同志社大学)神学科で学んで牧師となり、1891(明治24)年北海道の空知集治監の教誨師(きょうかいし)となりました。そこで感化教育の必要性を強く感じ、監獄学研究のため渡米しました。
その成果を具現化するべく、1899年(明治32)年東京巣鴨に家庭学校を創設し、その後1914(㍽3)年には、50歳にして北海道・遠軽の地に分校を設立しました(北海道家庭学校)。
この働きのかたわら、内務省の嘱託として、地方改良事業についても積極的な提言を行い、国内でも重要な役割を果たしました。
さらに、多くの著書とともに、1905(明治38)年から病に倒れる1932(昭和7)年まで、家庭学校の機関誌『人道』を発行し続け、社会事業の啓蒙にも多大な功績を残しました。